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「緑丘」の地名の由来
昭和20年頃、現緑丘二丁目・四丁目を中心とする一帯は、日本製鉄株式会社の所有地にして、軍事工場建設のため整地を始めましたが、終戦となり、旧地主に売却し、区分して分譲することになりました。この耕地整理区域にふさわしい名称を公募して審査した結果、「みどりヶ丘」が採択されました。その後、町会創立による名称として「緑ヶ丘」となりました。
昭和37年5月に、上尾市から住居表示交付時の提示された案では、17号バイパス東側の緑丘四丁目・緑丘五丁目・本町五丁目区域を「緑丘」とし、17号バイパス西側を別の地名にしたい旨の打診がありました。緑ヶ丘町会では「緑ヶ丘住居表示審議会」を設けて審議した結果、「緑丘」以外にはないとの結論に至りました。上尾市側も地域住民の意向を尊重し、昭和42年7月1日から現在の「緑丘」が誕生しました。
緑丘町内会の主な出来事
緑丘町内会における主な出来事はこちらの一覧(令和元年 現在)をご参照ください。
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